磐田戦

2−1.そのスコアが意味することは3つ。磐田が勝利したということ。新潟が敗北したということ。そして新潟と反町監督の別れが訪れたということ。
もう5年前だ。一人の青年監督が新潟の指揮をとることになったのは。そのころ俺はサッカーに興味はなかった。しかしその間に反町監督は新潟を変えていった。意識の徹底、走るサッカー、細やかな戦術、卓越した情報収集。新潟はJ1昇格も夢ではない地位まで踊り出た、はずだった。
しかし昇格を目の前に新潟はライバル、セレッソ大阪に惨敗した。これが現実。しかし下を向いてもいられない。
2003年、新潟は走っていた。反町監督は新潟の歴史のページを1枚1枚書き上げていった。そして湘南戦。相手のエースは現甲府のバレー。彼を抑えることも重要なタスクだった。しかし点を奪うことはもっと必要なことだった。そんな中上野が決勝ゴール。歓喜に包まれるスタジアム。反町監督は新潟におけるおとぎ話の1ページ目が始まった、と語った。これまでのページは彼にとっては序章に過ぎなかった。
来る2004シーズン、新潟は苦しんでいた。J1の壁ははるかに大きい。しかし苦しんだ中で得られたものもあった。第2ステージが始まると新潟は一時3位まで踊り出る。新潟の誰もが期待し、胸躍らせた。しかしチームは一度狂った歯車を元には戻せなかった。
この時点で反町監督はチームを去るつもりだった。しかし多くの後押しが彼を決断させた。2005年も新潟のベンチには記録をとり、指示を出す彼の姿があった。波のある戦いをする新潟。一時は降格圏内まで落ちるも、なんとか残留を決めた。
そして退任発表の時。彼はサポーターへの期待、感謝を口にした。ホーム最終戦は飾れなかったものの、彼には退団するリマと同じくらい、いやそれ以上の歓声が彼を送り出した。
反町監督、新潟でのラストゲーム、磐田戦で新潟は田中のゴールに屈した。ただこれまで新潟のサッカーに注文をつけてきた自分ももう何も言うことは無かった。
最後の会見場、涙を見せた反町監督。「新潟は磐田の1.5倍走りました」この監督の言葉に私は安堵感と感謝の気持ちでいっぱいになった。彼のサッカー哲学は新潟に染み付いた。サッカー不毛の地と呼ばれた新潟。その新潟を熱くさせてくれた反町監督にささげる一言。
本当に今までありがとうございました。
次に会う時はもう敵です。俺も涙はすぐに拭って新潟を応援します。
FORZA!NIIGATA!